| ■秋山好古・真之家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア、コトバンク) |
| 秋山久敬(ひさたか) |
父/松山藩士、徒行(かち)目付筆頭、維新後は県の学務課勤務/
妻・貞は松山藩士・山口正貞の二女/
長女・種は早世。長男・則久は漢学に造詣が深く、東京で学んでいたが、
病で帰郷、家を継ぐ事が困難になり廃嫡。好古が家督を継ぐ。 |
| 岡正矣(まさなり) |
二男/岡家に養子入り/
日本鉄道会社勤務などを経て、朝鮮京城電気重役。 |
| 秋山好古(よしふる) |
三男/1859〜1930/陸軍大将、北予中学校長、“日本陸軍騎兵の父”/幼名・信三郎/
妻・多美は旗本・佐久間正節の娘 (「NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック 」では佐久間正辰となっている)/
二男五女の父。ヨシ(與志子)、ケン子(健子)、信好、勝子、治子、保子(夭折)、次郎/
明治37年、日露戦争に従軍、田家屯の激戦、奉天会戦で秋山騎兵団の名を上げた。
ちなみに、伊予松山藩久松松平家分家の子孫であるNHKアナウンサー松平定知の父、
松平定堯(陸軍大佐)が、陸軍幼年学校入校時の保証人は好古であった。 |
| 西原道一(みちかず) |
四男/西原家に養子入り/
横浜で貿易商を営むが、日露戦争の前年、事業が大成することなく没。 |
| 秋山真之(さねゆき) |
五男/1868〜1918/海軍中将、連合艦隊参謀/幼名・淳五郎/
妻・すゑ(季子)は、宮内省御用掛・稲生真履の三女/
四男二女の父。大、固、中、少子(わかこ)、全(やすし)、宜子/
明治38年6月、連合艦隊参謀として日露戦争に参加、
東郷平八郎司令長官の幕僚となり、黄海海戦、日本海海戦で、
丁字戦法、2字戦法などを献策、勝利に導いた。
特に日本海海戦での名電文「本日晴朗ナレドモ波高シ」は、
戦略家・名文家としての名を高めた。 |
| ●秋山好古 |
| 塚原嘉一郎 |
鉱業を営み傍ら、北樺太コスチナ炭礦取締役を務めた/妻・ヨシは好古長女 |
| 土居利三郎 |
医学博士、大阪市立医学専門学校附属病院長/妻・ケン子は好古二女
■歴代の附属病院長 - 大阪市立大学 |
| 岩崎清七 |
1865〜1946/磐城セメント創業者、東京瓦斯社長、栃木県多額納税者/
娘・君代は秋山好古長男・信好の妻/
生家は栃木県内有数の米穀商。
渋沢栄一から第一銀行に誘われたが、家業を継ぐ。
日露戦争後、磐城セメントを創立、以後、日清紡、日本製粉など多くの企業を経営。
東京瓦斯社長も務めた。回顧録「財界楽屋漫談」がある。 |
| 秋山哲兒 |
三菱銀行勤務を経て、東洋文庫理事/好古の孫 |
| 米田冨士雄 |
日本船主協会理事長、日本海運振興会会長、逓信官僚/妻・治子は好古四女 |
| 内藤鳴雪 |
1847〜1926/俳人、文部省参事/本名・内藤素行/
明治25年より正岡子規に俳句を学び、晩年は子規門下の長老として、
新聞雑誌の選者となる。大正2年俳誌「南柯」を創刊した。 |
| 小崎正満 |
陸軍少将/娘の夫が塚原嘉一郎の弟 |
| ●秋山真之 |
| 秋山大(ひろし) |
仏教美術の研究に没頭するも、早世/真之長男
「現世信仰の表現としての薬師造像」「古代発見」の著書がある。 |
| 青山芳得 |
海軍大佐/妻は秋山真之夫人・季子の姉 |
| 青山固(かたし) |
日本製粉監査役/真之二男、青山家に養子入り/
◆青山固
「製粉の技術」 |
| 秋山中(ただし) |
山下汽船取締役、山下新日本汽船監査役、山和商船社長/真之三男 |
| 大石宗次 |
海軍中佐/妻・宜子(たかこ)は真之二女 |
| 大石尚子(ひさこ) |
参議院議員(民主党)、衆議院議員(当選2回)、神奈川県議/
横浜国大学芸学部心理学科卒/母方祖父が秋山真之
■参議院議員 大石尚子 |