| ●小篠綾子・コシノ三姉妹家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア) |
| 小篠甚作 |
呉服商、雑貨商/昭和19年没 |
小篠綾子
(コシノアヤコ) |
ファッションデザイナー、コシノ洋装店経営/昭和62年「アヤココシノ」ブランドを発表/
大正2年生、平成18年死去/
兵庫県加西郡西在田村若井(現・加西市/父の実家)に生まれ、3歳になる頃、岸和田に移る。
元々の姓は、小篠(オザサ)であった。
母・ハナは、父・甚作が呉服屋店員として出入りしていた鳳(大阪府堺市)の隅谷家の娘。
「綾子とあかい糸―コシノ三姉妹の母の生涯 」さとうひさえ/著 によれば、母方・隅谷家は
『他人の土地を踏まずとも、隣の町まで歩いていける----
後に甚作の妻となるハナの生家、隅谷家も、そんな庄屋の一つであった。
江戸時代には“炭谷”という表記だったというから、
もとは炭関係の倉庫を持つ納屋衆の一人だったかもしれないが、
「大正名鑑」には、家祖は江戸時代・貞享年間の小右衛門で、
農業で財を築いたという記述がある。
甚作が訪れた明治四十数年頃の鳳には、隅谷家のようなお屋敷が何軒かあったようだ。
(中略)
ハナは、明治二十二年四月、隅谷小一郎(※小篠綾子母方祖父)と
リエ(旧姓・田川)の長女として生まれた。
弟の一人、長男である秀直は、跡取りとしてふさわしい教育を・・・と、
幼い頃は前述の尾上家(※慶応年間に生きた当主・小次郎の妻の実家・大阪長柄の尾上家)
で養育されたという。
他の弟二人は、当時跡取り息子のなかった、神戸の貿易商である小林家と
泉大津で造船業を営む林家に、それぞれ養子に出されている。
(中略)
顧客である隅谷家の令嬢に手を出した甚作が、勤めていた呉服屋を解雇され、
失職したことは想像に難くない。入籍の一ヶ月前に父・長蔵が死亡し、
一人残ってしまった母・よねが待つ郷里の若井に、甚作は新妻ハナを連れ、舞い戻った。
耕す土地さえ持たない甚作は、一家を養うために、どこかに出稼ぎに出たのだろうか?
ともあれ、ハナは姑と小さな小屋に暮らしながら、一年後にまた女の子を出産する。
(※長女・千鶴子は生後20日で死亡)
その子には、「一生、糸偏産業で食べていけるように・・・」との願いが込められ、
綾子という名がつけられた。」』/
岸和田高女(現・和泉高校)を3年時に中退/
コシノヒロコ・ジュンコ・ミチコ、三姉妹の母。三人の娘はすべて二度の結婚歴あり/
小篠綾子
「コシノ洋装店ものがたり」( 「やんちゃくれ―コシノのお母ちゃんと三姉妹の奮闘記 」の文庫版)
「糸とはさみと大阪と 」 |
| 小篠武一 |
紳士服テーラー/小篠綾子の夫/旧姓・川崎。小篠家に婿養子入り/
昭和20年、中支方面で戦病死。 |
| コシノヒロコ |
ファッションデザイナー/小篠弘子・昭和12年生/小篠綾子長女/
岸和田高校、文化服装学院卒/
コシノヒロコ作詞・河口恭吾作曲・唄「名もなき花よ」は、
NHKドラマ「天使のわけまえ」(2010年/観月ありさ主演)主題歌/
東京で下宿している時、学習院大生・松島久三郎(母一人子一人)と親しくなり、
昭和35年、ヒロコ23歳、久三郎22歳で結婚(婿養子)。
36年長女・由佳、43年二女・由実をもうけるも、51年離婚。/
長女・由佳は3歳まで、義母に育てられた。
義母は、『北海道の大きなお家の出で、とってもしとやかな方』
(「花大輪―ファッション人生、だんじり気質」小篠綾子/著より)
現在の夫は、手打ち蕎麦屋「むら玄」を経営する元写真家・村上煕。
■HIROKO KOSHINO
■ブログ:News jp
コシノヒロコ
「だんじり母ちゃんとあかんたれヒロコ 」 |
小篠由佳
(ゆか) |
「株式会社ヒロココシノ」プレス担当/昭和36年生/コシノヒロコ長女。中村正則と結婚/
『ヒロコの長女・由佳は、ミチコと同じ松蔭女子学院短期大学を出て、
今は代議士秘書夫人となっています。そして、ヒロコの秘書兼プレス担当として、
ヒロコの裏方を務めています。』(「アヤコのだんじり人生 」コシノアヤコ/著(平成5年)より) |
| コシノユマ |
ファッションデザイナー/小篠由実(ゆま)・昭和43年生/コシノヒロコ次女/
ユマコシノのブランド名で、平成10年デビュー。
『次女の由実は、やはり松蔭短大を出てから、東京の文化服装学院デザイン科に籍を置き、
しばらくモデルをやってました。その後、フランスに渡り、二年間くらいデザイナーの勉強をし、
今はロンドンのミチコに師事してプレスをやっています。
目下二十四歳、ひょっとしたらヒロコの後を次いで
デザイナーデビューということになるのかもしれません。
そしたら、親子三代のファッション・デザイナー誕生ということになります。』 (「アヤコのだんじり人生 」コシノアヤコ/著(平成5年)より)
■YUMA KOSHINO" ユマ コシノ オフィシャルWEBサイト
■動画:「Table of Dreams 〜夢の食卓〜」 コシノ家の食卓 |
| 米田精一郎 |
ユマコシノ アソシエイツ代表取締役/
早大卒業後、外資系投資銀行に入行。主にM&Aを手がけた。
平成16年、知人が設立したアーツ証券に参加した。同年、コシノユマと結婚。 |
| コシノジュンコ |
ファッションデザイナー/小篠順子・昭和14年生/小篠綾子二女/
岸和田高校、文化服装学院卒/
24歳の時、カメラマンを志していた斉藤亢と結婚するも、のち協議離婚。
昭和50年、ヘアデザイナー鈴木弘之と再婚。/
大阪府堺市出身の作家・タレント、中谷彰宏と小篠家は血の繋がりのある親戚。
(小篠綾子の母方との繋がりであろうか?)
(「人生をデザインする48の方法 」コシノジュンコ、中谷彰宏/著より)
■Junko Koshino
コシノジュンコ
「お母ちゃんからもろた 日本一の言葉 」
「人生、これからや! 」 |
| 鈴木弘之 |
JUNKO KOSHINO代表取締役、写真家、ヘアデザイナー/
コシノジュンコのファッションショーの企画・プロデュースを手がける。 |
鈴木順之
(よりゆき) |
クリエィティブ・ディレクター、プロデューサー/昭和55年生/
コシノジュンコ・鈴木弘之の一人息子/23歳で結婚/
青山学院高等部を卒業後、ロンドン芸術大学チェルシー・アート&デザインにて
空間デザインを学ぶ。帰国後、PUMA japanのクリエィティブ・ディレクターを経て、
グラフィックデザインや空間デザイン、プロデュース業に携わり、
クリエイティブエージェンシー「bisq inc.」を設立。
(「週刊朝日」2011.6.24号 [親子のカタチ]より) |
| コシノミチコ |
ファッションデザイナー/小篠美智子・昭和18年生/小篠綾子三女/
和泉高校、松蔭女子短大卒/
中学、高校、短大とテニス一筋で、高校で全国優勝、
短大時代、軟式テニスで全日本学生選手権優勝。/
短大を出て母・綾子の店を手伝い始めた頃、一度結婚するも、ほどなく離婚。
相手は高校時代の同級生で、朝日新聞社員。
(戦後、小篠綾子にゴルフを勧めてくれた南海電鉄社長・寺田甚吉の甥)。
昭和48年渡英。昭和50年11月、英国人ミュージシャン、ピーター・ジャドウ(ジャドー)と結婚。
その後、離婚。子供はいない。
■MICHIKO LONDON KOSHINO |