
大久保家は薩摩藩士で、大久保利通は幕末に諸国の志士と交わり、
藩主を補佐して藩論を統一し、王政復古に偉功があった。
よって、明治2年賞典禄1800石を給された。
ついで内務卿・大蔵卿となり新政府の柱石としてその基礎を確立する事に尽力したが、
明治11年凶刃に倒れた。
大久保家の祖先は、戦国時代に薩摩にやってきて、島津家の家臣になった。
利通の父、大久保利世は、下級武士であったが、陽明学や禅学に通じ、
身分にこだわらずに町人や百姓とも交際する、磊落な人物であった。
また、利通の母方の祖父・皆吉鳳徳(みなよしほうとく)は藩医で、蘭学を学び
日本最初の西洋式船舶「伊呂波丸」(帆船)を建造した一人として知られる。
利通は、父と、この祖父の感化を受けたとされる。
牧野伸顕は大久保利通の次男に生まれ、親戚である牧野家の養子に入った。
伸顕は外交官から閣僚を歴任し、のち内大臣となり、
明治・大正・昭和の宮中・政治・外交などに深く関わった。 |

| ●大久保・牧野家系図 |
| 皆吉鳳徳 |
藩医 |
| 大久保利世 |
薩摩藩士/一男四女の父 |
| 新納立夫 |
宮内大丞/妻は大久保利世長女・ナカ(利通の姉) |
| 大久保利通 |
参議、内務卿/維新の三傑/
藩主島津斉彬の信任を受け、その死後は島津久光のもとで藩政改革・国事に奔走。
西郷隆盛らとともに倒幕運動を推進し、慶応3(1867)年12月、
岩倉具視らと連携して王政復古の政変を実現。
新政府の参与・参議・大蔵卿などを務め、版籍奉還・廃藩置県に尽力。
明治4〜6年、岩倉遣外使節団の副使として欧米諸国を視察。
帰国後、西郷隆盛の朝鮮派遣(征韓論)に反対して明治6年の政変を招いた。
政変後、参議兼内務卿として明治政府の中心となり、殖産興業政策に全力を注ぐとともに、
漸進的な立憲政体の樹立をめざすなど日本の近代化の推進に務めた。
7年、清国に赴き、台湾出兵の善後処理に従事。
相次ぐ保守派士族の反乱に強硬姿勢で対処。
10年、西郷を擁する鹿児島士族の反乱(西南戦争)の鎮圧にあたったが、
翌年5月14日、不平士族に襲われ死去。
◆関連本:大久保利通
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| 石原近昌 |
妻は大久保利世二女・キチ(利通の妹) |
| 山田才助 |
妻は大久保利世三女・スマ |
| 山田彦八 |
海軍中将 |
| 石原近義 |
中警視/妻は大久保利世四女・ミネ |
牧野伸顕
(のぶあき) |
明治12年外務省に出仕し、以後諸官に勤務し、諸制度の整備・取調等にあたり、
内閣記録局長、福井・茨城各県知事、文部次官、
イタリア・オーストリア・スイスの各公使等を歴任。
39年第1次西園寺内閣の文部大臣となり、翌40年11月勲功により男爵を授けられた。
その後、第2次西園寺内閣の農商務大臣、第1次山本内閣の外務大臣等を務め、
大正8年講和全権委員となり、翌9年9月対独平和条約締結、シベリア出兵の功により
子爵に陞爵した。10年宮内大臣となり、14年内大臣に転じ、輔弼の功労が多かった。
さらに大正14年4月伯爵に陞爵した。
■関連系図
◆著書・関連本
「回顧録〈上巻〉 」「回顧録〈下巻〉 」
「牧野伸顕日記 」 |
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