| ●浜田靖一家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア /解説: 「新訂 政治家人名事典 明治〜昭和」、他) |
| 浜田甚三郎 |
祖父/自民党支部長、千葉県体協役員、町議、青堀町助役/
千葉県君津郡青堀村(現在の富津市)で農業を営んでいた高橋家の三男として生まれ、
後年、隣村の浜田家に婿養子として入る。浜田家は雑貨商であった。
家業に従事しながら、自宅の庭や近くの神社で剣道を教えるのが日課だったという。
やがて、地元の町議会議員となり、昭和15年から青堀町助役として5年間務めた。
ヤクザの門に入ったという人もいるが、三男・正雄によれば、
「当時、青堀に石崎組というヤクザがいて、親分が人を斬って留置場に入った。
父は、警察から頼まれて、親分がいなくなった後を取りしきったんです。
それまで、父は警視庁の剣道の指南役をやっていました。父自身はヤクザではないんですよ。」
そういった関係から、次男の幸一も、一時石崎組に出入りしていて、
政界入り後、いろいろ取り沙汰されるようになった。
戦後、公職から身を退き、廃品回収業を始めた。
長男は戦死し、幸一と正雄の二人の息子共々、リヤカーを引いて歩く生活。
やがて、戦前の人脈をツテに小さな商事会社の顧問をやったり、
人材派遣業の会社を作ったりした。剣道も復活し、木更津警察署で教えた。
交際は広がり、千葉県体協の役員として、県の体育祭の審判部長を務めたり、
自民党の支部長にもなって政界に顔を広げた。水田三喜男元大蔵大臣と親しかった。
昭和60年5月没、84歳。(参考:週刊新潮 [墓碑銘]) |
| 浜田幸一 |
父/政治評論家、衆議院議員(平成5年引退/自民党)、千葉県議/甚三郎次男/
日本大学農獣医学部拓殖科中退/
廃品回収業の家に生まれ、20代で暴力団幹部となる。
ヤクザから足を洗った後、君津郡連合青年団長、千葉県連合青年団長、
日本青年団協議会顧問などを歴任。
この間沖縄を視察し政治に関心を深め、昭和34年富津町町議、37年千葉県議を経て、
47年自民党より立候補し、衆院議員に当選。
院内では、特異な経歴と人脈に加えて、あくの強い発言と党内抗争での派手な立ち回り等により、“
暴れん坊ハマコー”の異名をつけられる。
55年4月ラスベガスとばくツアー疑惑を浴びて、議員を辞職。
しかし、58年12月の総選挙で再選。通算7回当選。62年竹下内閣の予算委員長に就任したが、
宮本顕治殺人者発言事件で審議が空転し、63年2月辞任。
平成3年社会党国対委員長への裏金発言で再び物議を醸す。5年引退。
近年は「笑っていいとも!」「たけしのTVタックル」などバラエティ番組にも多く登場。
◆著書・関連本
「新版 日本をダメにした九人の政治家」
「永田町、あのときの話―ハマコーの直情と涙の政界史 」
「不肖ハマコーがゆく―一所懸命に闘い、一所懸命に死ぬ 」
「弾丸なき抗争―権謀術数に生きる男の戦い 」
他 |
| 浜田正雄 |
叔父/京葉銀行頭取/甚三郎三男、浜田幸一の弟 |
| 浜田靖一 |
衆議院議員(自民党)/
専修大学経営学部経営学科卒/
■浜田やすかずホームページ |