| ●石破茂家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア、コトバンク /解説: 「新訂 政治家人名事典 明治〜昭和」、他) |
| 石破二朗 |
父/参議院議員(自民党)、自治相、鳥取県知事、内務官僚、建設事務次官/
東京帝大法律学科卒/父・石破市造は村長/
昭和7年内務省入省、厚生事務官や陸軍司政官を経て、昭和25年建設省に入り、
30年事務次官。
33年鳥取県知事に当選、以後4期15年余にわたって“石破県政”を築いた。
49年に当時の田中角栄首相の懇請で参院選に出馬して当選2回。
55年鈴木善幸内閣の自治相となるが、同年暮れにすい臓結石の手術を受け辞任。
◆石破二朗 |
石破茂
(いしば) |
衆議院議員(自民党)、農水相・防衛相/妻・佳子は中村明二女/
慶大法学部卒/
■石破しげるオフィシャルサイト
◆石破茂
「自民党の底力 」小泉純一郎、石破茂、ほか
「国防 」
「軍事を知らずして平和を語るな 」 |
| 中村明 |
昭和電工取締役/平成21年6月7日死去。 |
金森通倫
(つうりん/みちとも) |
牧師、神学者/本名・金森正訓/
妻の小寿(こひさ)は神戸女学院の第一期生で、山陽女学校の創立者のひとり/
「熊本バンド」のひとりで、先頭を切って同志社英学校に入学。
明治9年12月3日に新島襄から受洗する。
同志社卒業後、岡山教会牧師、同志社神学科教授、校長などを歴任して明治23年退職。
番町教会牧師となって、24年「日本現今之基督教並ニ将来之基督教」を刊行するが、
1年たらずで番町教会を去り、その後自由党、三井鉱山、東京米穀取引所に関係し、
33年から大正3年にかけて内務省、大蔵省の嘱託となる。
のち救世軍に入って伝道活動を続けた。
■参照:金森通倫(歴史が眠る多磨霊園)
◆「同志社山脈―113人のプロフィール 」同志社山脈編集委員会/編 |
| 金森太郎 |
東北船渠社長、徳島・山形県知事、内務官僚/通倫長男
■参考:金森太郎 |
| 金森次郎 |
山之内製薬取締役/通倫二男 |
| 金森五郎 |
郡山精神病院長/通倫三男 |
| 金森九郎 |
東大工学部教授/通倫四男 |
東ヶ崎潔
(とうがさき) |
ジャパンタイムズ会長、国際基督教大学理事長/
妻・三寿は通倫長女 |
柴田徳衛
(とくえ) |
東京都立大教授、東京経済大教授、経済学者、都市問題研究家/
妻・恵美子は東ヶ崎潔の長女/
大蔵省に勤務後、昭和24年東京都立大学助手となり、
26年から2年間コロンビア大学に留学。帰国後、都立大教授。
のち美濃部都知事に請われ都庁入り。46年企画調整局長、
49年理事兼公害研究所所長を歴任。55年東京経済大学教授に就任。
著書に「日本の都市政策」「都市と人間」など。
◆柴田徳衛
「東京問題 」
「明日への東京宣言―都民の都民による都民のための都政 」 |
浜健夫
(たけお) |
明治学院大教授、日大教授、理学博士/
妻・寿々枝は通倫五女/ |