近現代・系図ワールド
〜政治家系大事典〜

現代の政治家で、
近親者に、主として国会議員がいる人物を、
家系図を通して、「点」から「線」へと繋ぎ、
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加藤紘一系図


加藤紘一 系図









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●加藤紘一家系図 (人物解説リンク:ウィキペディアコトバンク
加藤幹雄 1869〜1916/弁護士、西田川郡会議員/
朝暘学校卒業後、県庁に勤務する父・加藤寛の任地山形に移って山形中学校に入ったが、
在学半ばで上京し、神田の共立中学校に転校する。
司法省正則法学校(官費生)、大学予備門、第一高等中学校を経て、
明治23年、帝国大学(東京)法科大学に入学、28年7月、第1位の成績で卒業し、
さらに大学院で国際公法を履修した。同年仙台で弁護士開業、翌29年山形に移って
鶴岡・酒田に事務所を設け、その後、鶴岡南町に移転した。
きわめて有能で庄内における学識随一の弁護士と称され、広く住民の信用を得たという。
また、酒が好きで、同じ東大仲間・同郷の高山樗牛とは、飲みながら、よく談論風発したという。
明治40年、西田川郡の郡会議員となり、翌年5月、推されて衆院議員に立候補したが落選。
大正5年、48歳で死亡。
加藤精三 1900〜1965/衆議院議員(自民党)、鶴岡市長、内務官僚/
東京帝大法学部政治学科卒/
鶴岡に生まれる。旧制一校を経て東京帝国大学法学部に入る。
大正13年卒業後、内務省に入り、以来長崎・熊本・茨城各県庁に勤務、昭和4年文部事務官となる。
その後、徳島・石川・愛知・島根各県の課長を歴任し17年1月、鹿児島県学務部長、
同年11月には、青森県経済部長を務める。
第2次大戦に応召して、昭和21年5月中国より帰還。
小林鉄太郎のあとをうけて鶴岡市長に選ばれ、27年7月退任するまで6年余を務めた。
この間、県立農林専門学校(山形大学農学部の前身)・県消防学校・乳児院の誘致等、
教育厚生面で功績を残した。同年10月より自民党に所属して衆院議員当選5期。
地元のためには、特に赤川水系の電源開発に力を尽くした。
自治政務次官、法務委員長、自民党全国組織委員会副委員長兼総務局長を務めた。
加藤紘一 衆議院議員(自民党)、外務官僚(外交官)/精三五男/山形
陸軍中将・石原莞爾は遠縁にあたる/
妻・愛子は海老原英毅(開業医/日比谷高校同級生)の妻の妹(旧姓・杉浦)。
群馬県高崎市出身で、中曽根康弘の長女・美智子と幼稚園、中学校、日本女子大付属高校、
日本女子大とずっと一緒であった。一男三女あり/
東大政治学科・公法学科卒/
加藤紘一オフィシャルサイト
◆著書・関連本:加藤紘一
加藤亜里子 元?キャスター/
平成3年、フジテレビ深夜情報バラエティ番組「ヤマタノオロチ2」のキャスター募集に応じ、
3000人の中から選ばれて、同年秋から登場した。当時、東京女子大3年。
川野友裕 フジテレビ記者/妻・亜生(あおい)は元?TBS勤務で、加藤紘一二女
加藤五郎 宇部マテリアルズ副会長、宇部興産専務/精三の二男
加藤次郎 弁護士/精三の四男
岩崎芳久 旭化成監査役/妻・百合子は加藤紘一の妹
岩崎雄一 日本ショッピング協会会長、ルミネ会長、日本交通公社副会長、国鉄常務理事/芳久の兄




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●参考文献
「新編 庄内人名辞典」
新訂 政治家人名事典 明治〜昭和」日外アソシエーツ
「フォーカス」
「テレビタレント人名事典 第2版」
加藤紘一・全人像」仲衛


●花本さまより、基本情報でご協力いただきました。




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