| ●川崎二郎家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア、コトバンク) |
| 小原芳次郎 |
陸軍少将 |
| 宇垣一成 |
1868〜1956/陸軍大将、陸相・外相、参議院議員(緑風会)/
陸士(第1期)卒、陸大卒 |
川崎克
(かつ) |
1880〜1949/衆議院議員(当選10回)/
妻・ヤスは佐久間信義二女、宇垣一成の先妻とは縁戚/
日本法律学校(現・日大)法律科卒、東京外国語学校仏語科卒/
三重県上野の八十三銀行給仕となったが、尾崎行雄を頼って上京、
日本法律学校、東京外語に学んだ後、日本新聞記者、朝鮮の元山時事新報主幹、
元山民団長を経て、尾崎が東京市長の時、電気局に入った。
尾崎の下で憲政擁護運動を進め、政友倶楽部、中正会の幹事を務めた。
大正4年衆院議員となり、以後当選10回。
憲政会、立憲民政党、日本進歩党に属し、13年陸軍参与官、15年逓信参与官、
昭和4年司法政務次官、のち立憲民政党総務会長、政調会長、衆院予算委員長、
日本進歩党常議員会長などを歴任。
16年議会で翼賛会の違憲を追及、同志と同交会を結成、
翌年の翼賛選挙では、非推薦で当選した。
郷里伊賀上野の伝統文化顕彰に尽くし、伊賀陶器の研究家としても知られ、
絵もよくした。また、伊賀上野城の再建を計画、旧藤堂城址に桃山式三層楼を建築し、
財団法人伊賀文化産業協会を起こし、同会に寄附した。
著書に「伊賀乃信楽」がある。
◆「大政翼賛会に抗した40人―自民党源流の代議士たち」楠精一郎 |
| 川崎勉 |
日本触媒常務、日本鉄鋼連盟調査局長/克長男
妻は弁護士・金沢次郎長女 |
川崎秀二
(ひでじ) |
1908〜1978/衆議院議員(自民党)・厚相/克二男
早大政治経済学部卒/妻・三緒子は茂野吉之助長女/
昭和10年NHKに入り、亜洲部、企画部副部長。
21年父の地盤を継いで三重県から衆院選に出馬、当選。
進歩党から改進党国対委員長、自民党総務などを経て、
30年第2次鳩山一郎内閣の厚相。
39年松村謙三の訪中に同行して以来、日中友好に努めた。
尾崎記念財団理事長として尾崎咢堂を顕彰する尾崎記念館を建設した。
また、日本陸上競技連盟、ユネスコ議員連盟の各理事も務めた。 |
| 川崎二郎 |
衆議院議員(自民党)・運輸相、松下電産勤務/
慶大商学部卒/
■川崎二郎のページ |
| 茂野吉之助 |
石炭鉱業連合会常務理事 |