| ●山岡賢次家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア、コトバンク/) |
| 山内庄蔵(初代) |
製糸業/山岡荘八の母方高祖父 |
| 柳沢権三郎 |
製糸業/2代山内庄蔵の庶兄/
小出島(新潟県)の横町にある大黒屋弥兵衛に婿養子入り/
初代山内庄蔵の製糸業を継ぎ、俗称“大弥”という製糸業で大成した。
娘・やまが博文館館主・大橋新太郎の先妻 |
| 柳沢弥平 |
製糸業、地主/やまの兄 |
| 柳瀬万吉 |
金融業/柳沢権三郎三男、柳瀬家に養子入り/やまの兄 |
| 大橋佐平 |
博文館創業者・初代館主(社長) |
| 大橋新太郎 |
博文館2代館主、衆議院議員、貴族院議員/大橋佐平長男 |
| 大橋進一 |
博文館3代館主/大橋新太郎長男 |
| 大野金太郎 |
博文館支配人 |
| 大野孫平 |
東京堂社長・会長/大橋佐平の妻・松子の甥(妹・ヨセの長男)/
妻・佐喜辺は角屋貞造長女。妻の次妹は、同じ小出町(新潟県)の柳瀬家へ嫁いだ。
柳瀬家は“大弥”同様、相当大きく製糸業をやっていた。 |
| 角屋貞造 |
角屋(すみや)家は代々医者の家系 |
| 角屋正隆 |
東京出版販売(現・トーハン)社長・会長/大野孫平の妻の末弟 |
| 山岡荘八 |
1907〜1978/作家・小説家/本名・藤野庄蔵、旧姓・山内(やまのうち)。新潟県出身/
父・山内太郎七(婿養子)、母・せい、祖父・山内熊吉、曽祖父・山内庄蔵(2代)/
昭和8(1933)年、雑誌編集者だった藤野秀子と再婚。藤野家に婿養子入り/
17歳で印刷製本業・三誠社を創立。
昭和8年「大衆倶楽部」を創刊し編集長に。
9年同誌に発表した「佐渡の紅葉山人」から、山岡荘八の筆名を用いる。
13年時代小説「約束」が第23回サンデー毎日大衆文芸に入選。
15年長谷川伸の新鷹会に加わる。
戦時中は従軍作家として各戦線をまわり、時局的な小説を発表。
戦後公職追放、25年解除。同年より大作「徳川家康」(全26巻)に取りかかり、
17年の歳月を費やしてこの大河小説をまとめる。
以来、歴史小説を中心に幅広い活躍を示した。
他の主な著書に「千葉周作」「織田信長」「新太平記」「春の坂道」、「山岡荘八全集」がある。
また、自衛隊友の会会長を長く務めた。
山岡荘八
「徳川家康(1) (山岡荘八歴史文庫) 」 |
| 藤野秀子 |
山岡荘八の後妻/ペンネーム・山岡道枝 |
| 山岡賢次 |
衆議院議員(民主党)、参議院議員、山岡荘八秘書、安田生命社員/昭和18年生/
妻・稚子(わかこ/後に改名して秀江)は山岡荘八養女。
(「山岡荘八全集36」[山岡荘八詳細年譜]より)/
旧姓名・金子賢二。昭和45年、26歳で結婚。山岡(本姓・藤野)家に婿養子入り/
「藤野庄蔵となった(山岡)壮八は、再婚後、子宝に恵まれず、
後妻の親類である稚子氏を養女として迎え入れる。
その稚子氏の婿に入ったのが、
『東京・本駒込のミシン屋の息子』(ミシン屋元従業員)だった金子賢二氏。」
(週刊新潮2011年10/13号より)/
慶大法学部政治学科卒/
■山岡けんじ オフィシャルWeb
「遣稿山岡荘八自伝 」 「いまなぜ家康か―父・山岡荘八と徳川家康 」 |
| 山岡達丸 |
衆議院議員(民主党)、NHK記者/山岡賢次三男/
2009年衆院選、比例代表北海道ブロックより出馬(民主党)、当選。 |
| 山内一史(ひとし) |
山岡荘八先妻(離婚)との間の一人息子。/昭和6年生、明大英法科卒。平成12年没/
山岡荘八が藤野家・婿養子となったため、祖母・山内せいに養子入り。
長男・山内幹雄ら3子をもうける。 |